帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

初の須田町、日本橋、これまた初の大川越え、 四たびの銀座に歓喜溢るる丸の内、背なで見守る赤煉瓦 8 東京下町コース突入

日本橋を渡って、日本橋交差点を左折茅場町方面へと向かう。

左折せずにまっすぐ行けばあっしのいちばん好きなコース

「銀座」だ!ここへ果たして帰ってこられるだろうか?

あっしは銀座を走れるのだろうか?(笑)

茅場町の交差点をまた左折し、新大橋通りを水天宮方面へと向かう。

水天宮を右に見ながらその先を左折、江戸通りへとひた走る。

浜町明治座を通過

この辺を走るあっしの周りは、あっしと同じように走ったり歩いたりの連中。

みんなどこかが痛いのかな?(笑)

給水のボラさんたち。

みんな一生懸命に応援してくれる。ホンにありがたい。

北上してきて、ようやく浅草橋までやって来た。

これは蔵前あたりのどうやら住吉踊りでの応援みたいだ。渋い!(笑)

しかし、脚が脚だけに、応援も100%受け止める余裕はない。

いよいよ、4度目の雷門、浅草にやって来た。

 

過去三回は応援イベントが繰り広げられていたが、

遅いランナーのせいかギャラリーも少なめの感じる。

浅草でギャラリーが少ないのはさみしい、、、、

それはともかく、ランナーたちは記念撮影に余念がない。

あっしも、毎回ここで記念撮影。(笑)

この景色で撮るのはまた格別。

雷門を右折して吾妻橋方面へ、そしてすぐに右折し、江戸通りを南下する。

来た道を戻る形だが、蔵前まで戻ると左折し、あっしには未体験のコースへ。

↓↓↓蔵前橋通りを左折し、大川(隅田川)を初めて越える。

↓↓↓まだ橋の手前。左の大きい建物は昔の「蔵前国技館」の跡に建った

東京都水道局の処理施設。

いよいよ、隅田川をわたる。そこはちょうど20km

約半分。この脚でよくここまで来たもんだ。

 

(つづく)

 

 

 








初の須田町、日本橋、これまた初の大川越え、 四たびの銀座に歓喜溢るる丸の内、背なで見守る赤煉瓦 7 ふくらはぎに泥鰌が2匹

秋葉原を通過し、メイドさんを見ようかと思ったけど、

そこまでの余裕はなかった。

普段10kmくらいはよく走っているが、

なんかどうして、疲労感があった。

でも全然走る気は満々の気力は充分に感じていた。

秋葉原を過ぎ、末広町も通って最初の折り返し上野松坂屋前に向かう。

最初の折り返しだ。

テレビカメラがあると映ってはいないとわかってはいながら

みんな手を振る。もちろんあっしも(笑)。

上野広小路松坂屋前を折り返し、また秋葉原、須田町へと向きを変える。

折り返して100~200mくらい走ったところだろうか、

そこで、あっしの東京マラソンは終了した(笑)。

右のふくらはぎの外側というか脇のあたりが、

〝ビクッ、ビクッ〟と電気が走ったように痙攣した。

まるで泥鰌がふくらはぎで飼っているかのように動く。

思わず歩を止めて立ち止まる。

「ちょっと早くないか?」

過去3回とも確かにふくらはぎが痙攣したように攣った。

ただし、大体がハーフあたりだ。それからはすったもんだしながらの

珍道中になるので、今回も覚悟はしていたが、

まさかの10km過ぎで、、、

なんとか、万世橋まで戻って来た。

上の画像に見える肉の万世が3月でこの本店を閉店するという、

感慨深げに走ろうと思ったが、そんなことは1㎜も思えなかった。

だましだまし走っているしかない。

須田町の交差点を過ぎ、神田駅へと向かう。

このあたりで、 だけではなく左足にも〝ビクッ!ビクッ!〟と痙攣してきた。

走っては歩き、走ってはある気がもう繰り返される。

せめて地元くらいはかっこよく走りたかった。

それでも、上野、神田、日本橋を走れるのは気持ちがいい。

日本橋にやって来た。

8年前までは、このコースはなかった。

東京マラソンを走ると、何日か後にアンケートのメールがやってくる。

その時に、当時は日本橋を見るだけだったが、

「日本の道路の起点、日本橋を渡るコースの実現を!」

と、あっしはリクエストした。

そしたら、翌年からこの今のコースに変更になった(笑)。

せいぜい、ありがたく渡らせてもらう。

麒麟の翼に会える!!!

日本国道路元標にご挨拶。

この画像を撮りたかった。あっしの右足とともに(笑)。

麒麟よ!あっしも翼が欲しい!

 

だましだましながら、まだ元気な身体で

あっしの地元を後にした。

 

(つづく)

初の須田町、日本橋、これまた初の大川越え、 四たびの銀座に歓喜溢るる丸の内、背なで見守る赤煉瓦 6 束の間の順風満帆

靖国通りを東進すると徐々になだらかな下り坂になってくる。

以前のブログにも書いたが、富久町あたりで見る風景が

ランナーたちのカラフルなウエアが一面に広がる。

まさに極彩色の瞬間が見られる。

この風景を見られない先頭ランナーはかわいそうだ(笑)。

 

この先は曙橋。会社の同僚がいるはず。

キョロキョロ見ているとそれらしき人影が、

ご夫妻で応援してくれた。この日初の知り合い応援!

ありがとうございます。

キプチョゲを見たいと言ってここに来たらしい。

お待たせして申し訳ないが、キプチョゲ通過から1時間以上経過(笑)。

本当にありがとう!

この先には市ヶ谷防衛省がある。

いつも吹奏楽で応援してくれるが、まだやっているだろうか?

演奏しておりました。

いとこが防衛省職員で、いるかもと言っていたが

探したけどいなかった。

まさかのラッパ吹いている???(笑)

市ヶ谷に出てお堀端を飯田橋方面へ向かう。

神楽坂の入口を過ぎたころに、応援ギャラリーの御仁が、

「17年連続で外れました」のボードを持って立っていた。

8年ぶり4回目の東京マラソンのあっしだが、

確かに毎回この人に会っている。

確か以前は「10回連続で落ちました」っていうボードだった(笑)。

「倍率以上に落ちてます」のサブコピーもあった気がする笑。

道行くランナーに「どうすれば走れるの?」と聞いていたw

すぐ、あっしの初めての時のように10万払えばいいんじゃね?と言いたい。

飯田橋の交差点の手前、コスプレ集団の皆々様。

コスプレはなにもランナーだけのものではない。

応援者も結構なコスプレで東京マラソンを盛り上げている。

恐らくは、ランニングクラブで出場者の仲間を応援したり。

友人知人だったりのようで、

あちこちで、「○○さ~ん!」と呼び掛けては、

呼ばれたお仲間が駆け寄りひと騒ぎしている(笑)。

飯田橋を通り過ぎ、水道橋へ向かい左手に東京ドームを臨んだところで

右折。いよいよわが生地神田方面へと向かった。

再び靖国通りに出ると左折。

いよいよわが須田町方面へと進む。書店街を走り抜ける。

いよいよ須田町にやって来た。

この先我が生地の旧金●堂の前には、姉が待っているとのこと。

姉だけではなく、義兄もどーゆーわけかいらっしゃった(笑)。

我が金●堂はものの見事に再開発で

バックの通り立派なテナントビルになっていた。

もう少し早くこのコースでの東京マラソンに当たっていたらなぁ、、、

須田町交差点を左折し、万世橋秋葉原へと向かう。

万世橋上には何だかわからないが、豆乳の着ぐるみに応援された(笑)。

新宿からおよそ9.5km。時間にして10時45分頃。

スタートして1時間ちょい。全く想定内の順調な走りだった。

あっしの東京マラソンはこの辺りまでだった、、、、(笑)。

 

(つづく)

初の須田町、日本橋、これまた初の大川越え、 四たびの銀座に歓喜溢るる丸の内、背なで見守る赤煉瓦 5 新宿惜別(ゴジラとオ●マさんに見送られ)

当日の天気は良かったのだが、朝は寒かった。

凍えるほどでもないが、高層ビルに囲まれて陽が射さないせいか

ひんやり感が待っているときに押し寄せ、せっかくアップしたのに

身体が冷えているのがわかる。

そんな中、ようやく動き出した隊列が中央公園の脇に差し掛かる。

見ると陸橋にボラさんたちのエールが、、、

遠くを見ればわかるが、人、ひと、ヒト、、、、

恐るべし38,000人!!!

ここにもボラさんが、これからヤラレに行く我々を温かく見送る(笑)。

そうは言ってもありがたい。

ようやく、都庁前のスタートレーンにやってきた。

 

すでにこの時点で号砲から20分ほど経過している。

過去3回はタイムラグは15分程度だったが、

これほど待たされたのは初めてだ。恐るべし38,000人!

待ってろよ!百合子!(笑)

スタート地点に向かっていると、なんと目を疑うような

ゴミの山。なんじゃこりゃ!

防寒対策で使い捨て?のジャージとか、結構多かったのが

それこそ使い捨てのレインコート。上の白いのはみんなそうだ。

確かに中央公園で待っている間にも

周りでレインコート着ていた輩がいっぱいいた。

しかし、この惨状はどうしたもんかw、、、、

環境に配慮する東京マラソンがこれではねぇ。

確かに寒かったが、捨てる前提で着こむのはいかがなものか、、、

 

ようやくスタート地点にやって来た。ここまで25分!

百合子がいたーーーー!(笑)

ありがとーーーーう!百合子ぉーーーーー!(笑)

このスタート地点が地獄の一丁目

みんなわかっていながら、スタートのお祭り気分を堪能していた。

足元には、号砲時に舞い上がるハート形の紙吹雪

さあ、始まった!

これからどんなRUNになるのか、どんな長い日になるのか

不安しかないが、やるべきことはやって来た自信ではないが

根拠を糧にスタートした。

左腕のランニングウオッチのスタートボタンを押し、

耳にはスタート地点4度目のパイレーツオブカリビアン

テーマ曲が流れる。

スタート時はこれに決めている。

西新宿の街を駆け巡りながら、新宿大ガードをくぐり靖国通りを東進する。

そこには、歌舞伎町のゴジラの姿があっしを後押ししてくれる。

この先の2丁目にやっぱりいたオ●マさんたちの応援を一身に浴びる。

いろいろ問題がありそうなので画像は無し(笑)。

こうして穏やかなまま新宿を後にした。

 

(つづく)

初の須田町、日本橋、これまた初の大川越え、 四たびの銀座に歓喜溢るる丸の内、背なで見守る赤煉瓦 4 いけちんのいちばん長い日(4度目)

いけちんのいちばん長い日が始まる。

3月3日の朝、午前4時30分頃に起床。

前日はもちろん早く寝、支度は前から整えていたので

スムーズな朝を迎える。

軽い食事をとり、忘れ物をチェック。

配偶者に切り火をしてもらいいざ出陣!

ウチの仏壇に昔っから切り火用の火打石があった。

下の子の高校受験の朝に切り火して以来だ(笑)。

朝の張りつめた空気の中、駅へと向かう。

結構肌寒いが、早朝に走っているせいかあまり気にならない。

駅に着き、すぐに来た山手線に乗り込む。

車内にはもう臨戦態勢のいかにも今日走りますといった

面々のお仲間が乗車している。

新宿駅に着き改札を抜ければ、そこはランナーだらけだ。

すでにコスプレの変な格好の輩もいれば、

集団でおそろいのTシャツやウエアを身にまとい

待ち合わせている奴ら。

それはそれで面白い。

以前にも書いたが、東京マラソンは新宿周辺で

走る前に戦わなければならない。

東京マラソン、トイレ問題だ。

昨年の大会で、中央分離帯の植え込みなどで

立っ●ョンした画像や動画がSNSで拡散され、

東京マラションとか言われ批判された。

だから新宿駅周辺では公衆トイレというトイレはめちゃ混み状態。

これは昔っから言われていることで、

寒い中1時間以上待たされ、どうしてもトイレに行きたくなる。

あっしはというと、勤め先のテナントビルが都庁近くにあり、

8年前の前回もそうだが、

ランナーの入場ゲートをくぐる前に

会社のビルに立ち寄って用を済ます。

今回も用を済ましてから指定された入場ゲートへと進む。

新宿ワシントンホテル前から向かいに渡り、

ゼッケンとリストバンドのチェックを受けるが、

まだゲートではないw

新宿中央公園の南にあるバスケコートのところが

あっしの指定されたゲート。

再度、リストバンドとゼッケンを確認され、

検問所へ並ぶ。

8年前の前回は、すっげー並んで待たされたが、

今回はスムーズに進んで、すぐにあっしの番。

持っていたバックパックに、

「お荷物を開けてください」と

優しそうなお姉さんのリクエストに応えてジッパーを開ける。

8年前はバックの中に深く手を突っ込み、

ぬかみそをかき回すかのように探っていたが、

今回は「ペットボトル等はありませんか?」と聞くのみ。

そう、東京マラソンのスタート地点は

ペットボトルの持ち込みは禁じられている。

あと、折りたたみ傘もNG。見つかると有無も言わせず没収廃棄。

幸いにも天気は良かったから傘の心配はなかった。

飲料もゼリーパック系のものなら封を切っていなければ持ち込み可。

水分が心配と思える向きもあるが、

ゲート内のサンクチャリには走る前から給水所が用意されている(笑)。

ゲートを無事通過すると、そこはやはり公園だ。

早咲きの桜が見えた。

満開だ!

公園内で支度を開始。

着ていたジャージを脱ぎ、バックパックの中へ。

他にもいろいろ支度を整えバックパックに入れ込み準備完了!

有料の荷物預かりに荷物を預けるが、なんと佐川急便。

小さいお姉さんが荷物を抱えたあっしを見つけると

駆け寄ってきて「お預かりします」とかわいい対応w

ちょいキュンとなる(笑)。

ここで、トイレを見てみるとそんなに並んでいない。

じゃぁ、最後のひと絞りで出していくかと、

4回目にして初めてのゲート内で用をすました。

ほとんど出なかったが、絞り出した実感があり、

もう尿意はもようさないだろうと確信があれば万全になれる。

それから準備運動アップを始め、身体を温める。

十分に身体を柔らかくしてみんなが並んでいる列に

スタート30分くらい前くらいだろうか並び始めた。

過去3回もそうだが、15分くらい前になって、

MCがオープニングセレモニーを仕切り始める。

「とーきょーマラソーーーーン!!」

東京都知事の百合子の挨拶や、今回のテーマソングを歌っている

エグザイルの誰かさんが挨拶をしたり、

新宿の小学校児童による合唱があったり、

中央公園では一切見えないが、スピーカーを通じて

セレモニーが一応わかる。

そんなこんなで9時5分に車いすの部の号砲が鳴る。

それから5分後ようやくマラソンの号砲が鳴った!

鳴っても当然のごとく進まない。全くと言っていいほど進まない。

「全然進まないじゃないか」の声がどっからか聞こえる。

はじめてなのか?これからイヤってほど走らされるんだから

ちったぁー我慢しろ!と言いたい(笑)。

7~8分後だろうか、ようやく走り出す。いや歩き出す。

 

4度目の、本当に「いちばん長い日」が始まった瞬間であった。

 

(つづく)

初の須田町、日本橋、これまた初の大川越え、 四たびの銀座に歓喜溢るる丸の内、背なで見守る赤煉瓦 3 うるう日と前日

堂々と入場証をちらつかせて門をくぐる。

この日、29日は受付初日。

毎回初日に行っているので、2日目、3日目が混んでいるかよく知らないが

今日は空いているほうだと思う。

ここで指定された窓口に並んで、ゼッケンをもらう。

ゼッケンをもらう前にもう一度入場証をもう一度見せながら

運転免許証を提示し、ようやくゼッケンが手渡せられる。

それと同時に手首にリストバンドをはめられて本人確認の

揺るがない証拠にする。

以前ボランティアをしたときにもリストバンドをしたが、

ボラさんですらするのだから、選手でやらないわけはない。

 

しかし、今日は木曜日。日曜まで外すことができない、、、、

なるほど、初日に空いているわけが分かった(笑)。

着けられたときに、「いつまで着けてるの?」と聞いたら、

「当日の入場ゲートを通過するまで」と言われた。

ちぎれてしまったら通過できない。

慎重に3日間生活しなければならない。

リストバンドと一緒にお風呂も入るし、、、、w

そして2日後、東京マラソン前日。

毎回そうだが、土曜日ながら就業日。

昼休みにスタート地点を確認しに行った(いつもだけど)

初の須田町、日本橋、これまた初の大川越え、 四たびの銀座に歓喜溢るる丸の内、背なで見守る赤煉瓦 2 水門との再会

不安ながら、本番まで1週間。

最後の調整で、荒川右岸の上流をさかのぼり

15kmのRUNを敢行する。

折り返しの7.5kmには荒川と隅田川の分岐点、岩淵水門がある。

以前はよくこの岩淵水門まで走ったもんだが、

ここ10年近くは走ってこなかった。

ここまで行く途中に小さい公園がある。

10kmコースはこのちょい先を折り返すのだが、

大体5kmの中間点でいつお少し休んだりする。

そこには、何世代いたのかわからないが、

野良猫がいつもいる。

この日は2匹がお出迎え。最多で8匹を数えたことがあるw

ただ、野良猫だから人には慣れず、大抵近づくと逃げてしまう。

案の定この時も逃げられたが、その居たところに今日は持ってきた

ちゃうちゅーるをきれいなところを選んでぶちまける(笑)

ちょっと様子を伺うと、すぐにこいつら戻ってきて、

白い一匹がちゅーるにむさぼり始めた。

たくましく生きる野良猫に鋭気をもらって、あっしも先に進む。

鹿浜橋(環七)を越え少し左にカーブする先にそれはある。

だいぶ前のブラタモリでやっていたが、

埼玉秩父を源流に持つ荒川の支流である現在の隅田川は、

その昔、度重なる氾濫に悩まされ、

ここから先の荒川を作って東京湾へ流し込んだ。

隅田川を守るべくここに水門を作って、荒川に水を回すために

できたのがこの岩淵水門。

立派な水門だ。

荒川は今でこそ公式にも「荒川」だが、

あっしが小さい頃の地図を見ると「荒川放水路」と書いてあった。

川ではなく人工的に掘り進めた放水路ってことなのだ。

俄かに信じがたいが、ブラタモリでは、ほぼ人力で掘り薄めたらしい。

今ちょい調べたら、なんと放水路完成からちょうど今年で100年!

 

なるほど、100年前なら人力というのも納得する。

今は上の画像の通り、青く塗られた「青水門」だが、

これは2代目、昭和57年に新しく作られた。

結構デカい! 何度か来ているものの久しぶりに対面したせいか

そこそこ圧倒される。

門の下部をみると土砂が見て取れる。

もちろん水門だけど、稼働している証を目の当たりにすると、

ちょっと怖さを感じる。

青水門を通りすぢると、その先には初代100年前に完成された赤水門。

ちょうどここまで7.5km。折り返して15kmを目指す。

先週の走りとはえらい違いで、スムーズに楽に走れている。

20kmを走ったせいだろうか? グダグダだったけど、

20kmを走ったおかげで、きっとこのいい走りの15kmになっていると

勝手に思い。、自信につなげていった。

この思いがただの虚構、自己満足であったことは

当日の11時くらいまで気が付かなかった(笑)。

 

(つづく)