帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

さらに、いろいろ、ありました(笑)

2020年の暮れ、いつもいつも、この時期を迎えるとやってみたいことがあった。

それは、忠臣蔵。討ち入りの本所松坂町吉良邸より、

見事本懐を遂げ、高輪泉岳寺に至る行程を

徒歩あるいは走ってみたいと思っていた(笑)。

実際、ガイド付きの歩くツアーは討ち入りの時期にあるようだが、

とりあえず一人で試してみたい。

いろいろなサイトを確認しながら、元禄時代に義士が歩いた道を

たどってみたいと思っていた。

コロナも勢力をふるっていたさなかではあるが、

逆に一人で走るのだから、気兼ねなくやってみる決心をつけた。

時に令和2年12月12日土曜日11時過ぎ、

あっしは両国駅に降り立った。

ここから、吉良邸までは歩いて5分程度。

f:id:ikechin2306:20220113193127j:plain

ここからスタート。

討ち入りの日に近いので、どんだけ人がいるかと思いきや

見ると数人の観光客。

コロナのせいもあるかもしれんが、日本人のアイデンティティ

どうなることやら、心配の船出ではあった。

中には首洗いの井戸やこの地の所有者であった吉良さんの

像が鎮座されている。

f:id:ikechin2306:20220113193528j:plain

さぁ、ここから泉岳寺までのRUNが始まる。

一応忠実に調査に基づいてその足跡をたどるのであるが、

実は史実通りいくと、見事本会を遂げた義士たちは、

ここから西隣にある回向院に向かい

態勢を整えようとしたのだが、面倒を恐れた回向院が

開門の時間外とのことで、入山拒否。

仕方なく、両国橋のたもとで休息することに。

f:id:ikechin2306:20220113195015j:plain

↑ 大山巌の書、表忠碑 日露戦争の戦死者に向けての碑文だそうな。

大河ドラマ八重の桜にもあったが、

新島八重会津戦争で足を撃たれたあの大山巌

この辺で義士たちは休息したという。

f:id:ikechin2306:20220113194941j:plain

↑ 俳人でもあった義士の一人大高源吾の句碑

本懐を遂げてこの地で詠んだとされる。

「日の恩や たちまち砕く 厚氷」

大石も両国橋を渡ろうとするも、江戸城内に近づき、

それこそ面倒になるのを恐れたか、隅田川を南下し永代橋に向かう。

あっしもそれに従い、川沿いを南下する。

なんの変哲もない墨田区の街を走る。

しばらくして、ようやく永代橋近くにやってくる。

当時の永代橋は今の永代橋よりやや上流にあったらしく、

史実通りのルートは如何せんたどることはできないが、

その橋の手前に今でも現存するちくま味噌という店があり、

大高源吾の俳諧の友であった初代がここで赤穂浪士

甘酒をふるまったとされる。

f:id:ikechin2306:20220113201452j:plain

なにやらこの日も義士巡りの客たち目当てで何かを売っていた。

何しろこっちは走っているので、かばんも持ち合わせていない。

ここでなんか買っても悪いが邪魔になってします。

いずれそのうち味噌でも買ってみます(笑)。

今の永代橋に到着。

f:id:ikechin2306:20220113202021j:plain

隅田川を渡る。義士たちもこの川面を見ていた。

いよいよ江戸中心地に入る。

 

(つづく)