2020年の暮れ、いつもいつも、この時期を迎えるとやってみたいことがあった。
それは、忠臣蔵。討ち入りの本所松坂町吉良邸より、
見事本懐を遂げ、高輪泉岳寺に至る行程を
徒歩あるいは走ってみたいと思っていた(笑)。
実際、ガイド付きの歩くツアーは討ち入りの時期にあるようだが、
とりあえず一人で試してみたい。
いろいろなサイトを確認しながら、元禄時代に義士が歩いた道を
たどってみたいと思っていた。
コロナも勢力をふるっていたさなかではあるが、
逆に一人で走るのだから、気兼ねなくやってみる決心をつけた。
時に令和2年12月12日土曜日11時過ぎ、
あっしは両国駅に降り立った。
ここから、吉良邸までは歩いて5分程度。
ここからスタート。
討ち入りの日に近いので、どんだけ人がいるかと思いきや
見ると数人の観光客。
コロナのせいもあるかもしれんが、日本人のアイデンティティは
どうなることやら、心配の船出ではあった。
中には首洗いの井戸やこの地の所有者であった吉良さんの
像が鎮座されている。
さぁ、ここから泉岳寺までのRUNが始まる。
一応忠実に調査に基づいてその足跡をたどるのであるが、
実は史実通りいくと、見事本会を遂げた義士たちは、
ここから西隣にある回向院に向かい
態勢を整えようとしたのだが、面倒を恐れた回向院が
開門の時間外とのことで、入山拒否。
仕方なく、両国橋のたもとで休息することに。
↑ 大山巌の書、表忠碑 日露戦争の戦死者に向けての碑文だそうな。
大河ドラマ八重の桜にもあったが、
この辺で義士たちは休息したという。
↑ 俳人でもあった義士の一人大高源吾の句碑
本懐を遂げてこの地で詠んだとされる。
「日の恩や たちまち砕く 厚氷」
大石も両国橋を渡ろうとするも、江戸城内に近づき、
それこそ面倒になるのを恐れたか、隅田川を南下し永代橋に向かう。
あっしもそれに従い、川沿いを南下する。
なんの変哲もない墨田区の街を走る。
しばらくして、ようやく永代橋近くにやってくる。
史実通りのルートは如何せんたどることはできないが、
その橋の手前に今でも現存するちくま味噌という店があり、
甘酒をふるまったとされる。
なにやらこの日も義士巡りの客たち目当てで何かを売っていた。
何しろこっちは走っているので、かばんも持ち合わせていない。
ここでなんか買っても悪いが邪魔になってします。
いずれそのうち味噌でも買ってみます(笑)。
今の永代橋に到着。
隅田川を渡る。義士たちもこの川面を見ていた。
いよいよ江戸中心地に入る。
(つづく)