帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

アートはデータに、そして捨てられる

今回は音楽リスニング事情の話。
我が家にMDが来たのが4年ほど前だったか。
CDラジカセが壊れ、新しいのを買おうと模索。
電車の中ではポータブルMDを聞く人ばかりだった。
やはり今はカセットに変わるMDが無いとダメだと思い、
MDラジカセを購入。
これでやっと人並みになれたと思っていた。
それが今やipodをはじめとするデジタルオーディオばかり。
街中でMDを見ることは無い。
1000曲入るとか言っても、私のようにたまに落語を聞く場合、
何話換算になるのか不明だ。
楽曲配信とか、ダウンロードとかどうすればいいのか?

そもそも、あんな小さいモノにお気に入りの曲を入れて
失くしたり、水に落としたり、だいいち電気機器なんだから
壊れてしまうだろう。そしたら気に入ってた曲がパー。
そんなモノに…
と、ある人に言っていたら。

「いや~ぁ、いけちんさんもモノに固執しますね。
 私もどちらかというと同意見ですが、今の人は
 MDなどに残すことはしないで、容量が
 いっぱいになったら、ドンドン消して新しい曲を
 入れるそうです。」

驚いた。好きな曲でも聞き飽きればドンドン消す。
にわかに信じられない気分だ。
自分を感動してくれた曲とか映画とか
エンターテイメントなどに“思い入れ”という
概念がないのだろうか?
つい先日昔の曲を思い出し、20年以上前に買ったCDを
探して車で聞いたものだが…。

ダウンロードが増えていく現在、CD本体が売れず、
ジャケットのデザインにも手間(お金)を
かけなくなっていくのでは、とその人が言っていた。
アーティストが楽曲を作るということは
そのアルバムのテーマがあり、そのジャケットも曲順も
それにそった作品の一部であることは間違いない。
せっかく一生懸命曲を作ったアーティストだが
1曲ごとバラバラなデータになり、そして捨てられる。

  落とし読み 思いは晴るる 曲捨つる
  (ダウンロード)
          浮世の曲に かかる気もなし

もうじき忠臣蔵だ。