帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

三億円を追う 1 (まずは第三現場)

夏休みは満額ではないが何とか少しいただいた。
やりたい事は2つあった。
一つはもう恒例となった古墳見学。
もう一つは、あの三億円事件の現場を見ること。
あさま山荘安田講堂と来て
戦後最大のミステリーと言われる
あの三億円事件
今までいろんな事件関係の本を読んできたが、
以前にも紹介したけど
一橋文哉氏のこの本が一番面白く、
一番真実に迫った感たっぷり。
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この本(以下、当書)を軸にレポートをすすめる。

夏休みの午後、あっしは中央線に乗り
国分寺で降りた。
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地名はもちろん有名だが生まれて初めて
この地に降りる。
まず向かったのは現場と反対側の北口。
東芝に3億円のボーナスを運ぶ始点である
日本信託銀行
この銀行は三菱と合併し少し前までは当地にあったのだが
今はご覧の通り、
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サイゼリア等が入る雑居ビルに。
ここが3億円の出発点だ。
そのはす向かいには三菱銀行
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当書で知った事だが、
事件の数ヶ月前まで、金庫の関係かなんかで
日本信託銀行は給与等を運ぶ前日に
向かいの三菱銀行の金庫を借りて保管していた。
だから、給与日の朝は三菱銀行から
輸送車が出発していたので、
犯人の狙いは本当は三菱だったかも知れない。
場所は駅前の商店街のような一本道。
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突き当たりが国分寺駅
丁度、駅前の再開発が行われていて
またまた変貌を遂げようとしている。
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ここから輸送車は国分寺街道を南に走る。
あっしもバスでその道をたどる。
1.5㎞ほど下っただろうか、当時にはなかった東八道路
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銀行の輸送車(セドリック)が走る前を
犯人は緑色のカローラを後ろの
セドリックを確認しながら運転する。
ここまで来てセドリックは真っ直ぐに行くも
犯人は国分寺街道を外れ右斜めの路地に入る。
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今でもそうだが、進入禁止。
一方通行を逆走して入っていき、すぐ右側の空き地に置いてある
シートを掛けてエンジンを掛けっぱなしの偽白バイに
素早く乗り換える。それが推定ここ、世に言う第三現場。
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今や牛丼のすき屋になっている。
牛丼やっていうのがなんとも隔世を感じるが、
東八道路はともかく意外や結構当時の地図通りで
それほど変わってない。
犯人はここであわてたのか、よく再現ドラマでもあるように
シートを引っかけたまま走り出す。
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(この道を引きずりながら・・・)
目指すは学園通り。
セドリックは国分寺街道を真っ直ぐ行くが
2~300m先の学園通りを右折し西に向かう。
犯人はシートを引きずったバイクで
一方通行を逆走しながら学園通りまでやって来て
セドリックを待ち伏せ
左には住宅公社の団地。
当時もあったんだろうか?
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セドリックが左から現れ、
すかさず追尾する。
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学園通りを行くとすぐに府中刑務所の塀。
犯人は現金を追いながら
この刑務所の塀をどう見えていたのだろうか?
うまく奪えるか?、さもなくばこの中か?

雨の中、白バイはセドリックを追い停止させる。
昭和43(1968)年12月10日 午前9時21分。

世間を驚かした三億円事件の第一現場にやって来た。

(つづく)