帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

落語

前回は私の好きな阪神について簡単に触れてみたが、
今回は同様に自分の好きなシリーズとして、「落語」について語ってみたい。

私と落語の出会いはかなり古い。と言っても定かではない。
一つだけはっきりしているのは、小学校の4、5年生くらいのころだろうか。
仲のいい友達数名が、帰りに図書館へ行くというので一緒に行った。
2階へあがるとレコードが並んでいた。そこで落語のレコードを見つけた友人が
「あ、落語だ。落語って面白いんだよね」と話しかけてきたのである。
私も落語はどういうものかは知っていたので、「そうそう面白いよね」と切り返し、
結局レコードを借りてきたのである。
知っていたものの、落語を真正面からあまり聞いたことがない私は、
そのレコードにびっくりした。
なんせ、レコード(音だけ)なのに落語家の語る話の様子、情景というのか、
手に取るようにわかるのだ。それだけわかりやすく、面白く話していたのだ。
落語ってすごいなぁと思った。
それをきっかけに、その友人と寄席やホールに通い初め、
落語という落語を聞きかじったものだ。
今でも落語のテープは100巻ほどある。

落語と聞くと皆さんどう思うか? 年寄り臭い、古臭い。と思う人もいるかもしれない。
確かに着物を着て座布団に座り、扇子と手拭いを使う。寄席の楽屋には火鉢が一年中あるし、だいたい話自体が長屋に郭、熊サンに八五郎。いくらなんでも隔世の感は否めない。

大学の頃、中学校の友人が大学の卒論(社会学)を、
「この現代において何故古臭い落語をやるのか?」というテーマでやりたい
と言うので落語好きのいけちんに協力してもらいたい…と言ってきた。
落語協会に連絡して、誰か若い落語家とアポとって取材するまではお手伝いしていいが、
問題は内容だ。
肯定的にそうした古典芸能を目指す人を取材するのではなく、
否定的な観点で、何でもっと楽しい(?)若者らしい(?)ことをやらないの?
と、来たもんだ。 それは趣味趣向の問題でしょ。
正直落語好きな自分にも喧嘩を売られているようで頭にきた。
では、歌舞伎はハイテクか? 能狂言をやっている若い人はいくらでもいる。
文楽浄瑠璃はどうか? 詩吟謡曲などなど…
日本人が日本の古典芸能を否定するようであってはならない。
むしろ知らな過ぎだ。
寄席や落語をもっと聞いてから頼みに来いと言ってお断りした。
それ以来、彼とは疎遠になっている。

小中学校の私がこれほどまで落語に心酔したのは古くささではないと思う。
確かに落語の中身は古くっても、内容は現代の日本人でも通用するのである。
有識者(ご隠居)がいて、馬鹿がいて(与太郎)、おっちょこちょい(熊さん八っつあん)がいる。
どうだろう、みなさんの周りでもこうした環境はないだろうか?
そう、どこにでも日本の世の中にはありそうだ。
そうした日本の原風景とも言える落語を聞くと、
「どこも同ンじだな」と言って笑うのである。
立川談志が昔、「落語は人間の業(ごう)の肯定」と言った。
まさしくこの言葉は如実に表現している。
人の欲や理性だけでは割り切れない感情を落語が表現してくれている。
だからこそ普通の生活ができるのかもしれない。
この業の肯定が無い外国はこうした日本の奥ゆかしさが無いのは当然と言える。

しかし、この日本にしても落語文化がこうも衰退してくると以前のアメリカのように
治安が悪くなってくるわ、義理人情が無くなってくるわ、
日本の“らしさ”が無くなって来ていると思う。
映画監督の森田芳光のデビュー作「の・ようなもの」という作品がある。
若い落語家をかなり思い切った表現で描いた作品で、私が好きな日本映画の一つである。
ラストで若い落語家が2人が将来の不安を語っている。
「落語は無くならないですかね?」
「無くならないよ、無くなる時は日本が無くなる時さ」
森田監督、良く言った! と思っていたが。
まさか現実になるとは…

また、長くなってしまった。
好きな事を語ると短くはできないね。