帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

サヨナラ 19

先週驚いた事に
阪神の小林が急死した。

昭和60年の優勝する前、
生きている内に優勝は見られるのか?と
疑心暗鬼していたあの頃
江本が「ベンチがアホやから」と
辞めてから
阪神唯一のエースと呼べる
存在だった。
G党のヨネスケからは
阪神のローテーションは
 小林-谷間ー谷間-谷間-小林」
とバカにされたモンだ。
かと言っても、移籍した年は
確かに22勝して沢村賞を受賞したものの
翌年からはそこそこ勝利数もあるものの
負け数も多く、私が見に行った試合で
彼が投げても1度も勝った事がない。
小林よりは西本の方が良かったのでは…
と、申し訳ないが思った事もあった。
しかし阪神が小林を指名した理由は
恐らく小林を苦手にしていたからであろう。
阪神戦の成績は11勝3敗。
3つしか阪神は勝てなかったワケだから
そりゃおつりが来る。

それはともかく、
頼りなくともエースと呼べる存在だったが
急に引退を表明した時は
目の前が真っ暗。
こりゃ本当に生きている内には
優勝は見れないと覚悟したほど。

当時の私を知るものは知っているが
小林のあの変速フォームを良く真似た。
恐らく日本で一番似ている、
いや完璧に同じフォームであると
今でも自負している。
さんまなんかメじゃない。

解説者になってからも
なかなかどうして、
TBSのスポーツニュースを担当していたが、
投球ではなく打撃の解説だったが
「ボールの線を点で捉える」
という表現は妙に納得した。
ただ、神様バースの事を
「直球を待っていたランディ・バースは…」
ランディ・バースの調子は…」
とフルネームで何度も呼ぶのには
ちょっと滑稽だった。
何でだったのだろうか?

江川事件、読売の犠牲者という
表現はあまり好まなかったと聞くが
読売の悪行の象徴となる事件の
当事者である事実はこれからも
生き続ける。
読売よナベツネよいい加減にしろよ。
と、また問いたくなった。
サヨナラ阪神のエース19番。

合掌