帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

轟く砲音、杉野は何処


昨年末のことで恐縮だが、
NHKで「坂の上の雲」第2部をやっていた。
いよいよ日露戦争が開戦し
日本が大国ロシアと戦い始めたところである。
第2部最終回は
序盤戦の戦いで有名な旅順港閉塞作戦。
これは旅順港の入口に艦船を沈め
港内にいるロシア艦隊を
出られなくしてしまうというもの。
ここで登場するは軍神広瀬。
今となっては知る人は少ないと思うが、
私の生地、神田須田町には馴染み深かった。
以前あった交通博物館のその昔、
万世橋駅前に広瀬中佐の銅像があった。
なぜ万世橋駅銅像を置いたかそれこそ不明だが、
よくその話は子供の頃から
「昔、広瀬中佐の銅像があったのだけど
 無くなってどこに行ったかわからない」
と聞かされていた。
子供だったから広瀬中佐のことより
銅像が無くなった”ことに
ものすごいミステリー性を感じた。
銅像が無くなるってどういうこと?
頭の中では一夜にしてカッパフィールドのように
パッと消し去ったのかと妄想したりもした。
調べると昭和22年に撤去されたことまでは
事実としてあるが、軍国主義の象徴的なものを
排除しようとしたGHQの指示だとか、
自主的な撤去だったりと
その理由には諸説ありミステリー性が濃くなる。
実際撤去され、しばらくは近くに置かれていたが
その内にいつの間にか無くなったという証言もあり
よくわからない。
そうしたエピソードもあるせいか、
元々中佐が有名だったのかもしれないが、
以前から私がよく生まれを尋ねられ
「神田の須田町です」
と答えると、年配の人は必ず
「あぁ須田町か。昔万世橋駅があって
 そこに広瀬中佐の…」
と必ず銅像の話がでた。
今で言えば80歳以上の人であれば
須田町→万世橋駅→広瀬中佐の銅像
という係り結びが成り立っている。
中佐はこの閉塞作戦で敵の砲弾に当たるという
壮烈な最期を遂げるが、
部下の杉野を沈む船から3回も探しにいったとされ、
結局見つからず戦死してしまい、広瀬と同じく
悲劇のスター、神格化になってしまったが、
実際には杉野は生きていたという説まである。
どこまで行ってもミステリー性が高い。
いまさらなんだが、万世橋に広瀬中佐の像を
復活してみてはいかがだろうか?