帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

都電復活委員会

先月のこと都営交通100周年を記念して
都電の花電車がのべ5日の休みの日に
運行された。
私は10日の祝日の夕方
荒川車庫近くに待ちかまえて写真を撮った。IMG_3901

その昔、根府川鉄橋や東大宮など
よく鉄道写真を撮りに行ったモンだが
久しぶりに撮るとあわててしまい
うまくは撮れなかった。
IMG_3905
ケーキのオブジェらしい
よく見ると世代ごとの車両と人形も見えるが
ピンぼけだ。スミマセン。
IMG_3906

都電といえば私の生家である
神田須田町は大昔は一大ターミナルだった。
どこ行くにしろ須田町は便利で
乗り換えする人も多かった。
そう、昔は一度電車に乗って車掌さんに言えば
乗り換え券をくれて、乗り換えた電車に出せばイイらしい。
電車ごとに運賃がかかるわけではない。
以前にも書いた覚えがあるような気がするが、
昔の人は都電の番号をほぼ理解していて、
「1番に乗って日本橋で38番に乗り換えて
門前仲町へ行きます。」
今ではさしずめ、
「丸の内線で大手町で東西線に乗り換えて
門前仲町まで。でも乗り換えに結構歩くんだよな」
となる。
都電は当然の事ながら地表に駅、ではなく
停留所がある。
だからほとんどの路線は交差点近くに停留所があり、
乗り換えも階段もなくそれほど大変なことはない。
停留所といえば須田町の生家で営んでいた店の領収証。
そこには店の名前と次の一行がある。
「須田町電停前」そう、電停前である。
今の人に電停と言っても、電気で停まる?
信号の事かな?と考えるかもしれない。
電車の停留所の略だ。
須田町から電車が消えてから何十年と経つのに
新しくゴム印を作り直すときも、
そのまま電停前で作ったから。
2005年に店をしめるまでずっと電停前だった。
いろんな人に、ウチの店を利用してもらい
領収書を渡すが、これに気づく人も少ない。
たま~に、「電停前?粋だね~。」と言ってくれる人も。
須田町から都電が消えた日も確か花電車が走った。
夜、電飾をつけて走る姿を2階の窓から見た記憶が
まだ残っている。それが何番の路線だったかはわからないが、
友人から以前紹介されたサイトによると
おそらく12番ではなかろうか。
このサイトは本当に凄い、路線の変遷が時間と共に
変わっていく様は感動モンだ。
それを見ると昭和30年代前半都電は絶頂期を迎え、
都心部を網羅し、重要な交通手段であった。
しかし、昭和39年東京オリンピックを境に
モータリゼーションが到来し、
渋滞の温床とまで言われはじめ
その役割を終える。
現在、都電荒川線が残るものの
専用軌道が多くクルマとの併走が少ないおかげで
今に至っているが、路面電車とは
一般市街の中を走ってこそ価値がある。
浅田次郎の「地下鉄(メトロ)に乗って」の映画の中に
主人公の恩師が言うセルフで
「地下鉄はいいよ。好きなところに連れてってくれる。」
私から言わせれば、地下鉄でなく都電だ。
確か先生役は田中泯。彼の歳は知らないが、
あれくらいの年代になれば同じく都電といって欲しいモンだが。
地下鉄は路線図を見る限り都電を超えることは絶対出来ない。
また、地下鉄と違って、着いても階段やエスカレータもなく
街の中にズドンと放り出されるのだ。
これくらい単純で機能的な乗り物はない。

私は以前からこの都電を復活させたく、
「都電復活委員会」の委員長をつとめている。
とは言っても、会員は私1人。
活動はほとんど“願い”だけ。

ちなみに東京銭湯復興会議の議長をも務める。
もちろんこれも1人だけ、活動はいろんな銭湯に行くだけ。
その話は又の機会に。