帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

談志が‥‥

志ん朝が死んだときほどの衝撃はなかった。
なぜなら、もう声があまり出なくなって
以前のようなキレが無くなっていたこともあり
あんな落語はもう聞けないことはわかっていたせい。
存命ではあるが、
失礼ながらもう期待できない米朝さんも同様だ。

そうは言っても談志が居なくなってしまった事は、
志ん朝の時のような「もう終わった感」が再び襲ってくる。
丁度落語を聞き始めた頃は絶頂期では無かろうか。
そんな談志を聞いているせいか晩年は目を、
いや耳を避けたくなってしまいたくなるほどだが、
落語をやってくれるだけありがたいとも感じていた。

『落語は人間の業の肯定』という名言は、
口座で「そう言わないと自分の存在意義が無くなってしまう」
と笑わせていたが、それは談志自身のみならず
落語界全体、ひいては全落語ファンの存在意義をも
認める形となっていた。
その言葉に救われた。感謝する。

談志の口座を初めて見たのは30年ほど前
国立劇場落語研究会。確か「風呂敷」だったかと思う。
あとは日比谷にあった東宝名人会の初席でのトリ
「人情八百屋」。
正月初席の大入り満員で立ち見で見たそれは、
足の疲れを忘れさせてくれるには充分だったかと思う。
また、協会脱退後だったと思うが
国立演芸場での「ぞろぞろ」。
その時はあんまり落語をやりたがらず
漫談でお茶を濁そうとしたけどトリということもあって
「仕方ねえからやるか」なんて言いながら演じていた。
確かに芸は最高。(でも人格は最低←弟子が言っている)
無理だとは思うが、もう少しまじめにやっていれば
もっともっと大名人になったに違いない。
そうなったら談志ではなくなってしまうのだろうけど。

昔、永六輔さんのラジオで
志の輔がレギュラーで出ていたとき、
永さん自身も言っていたが談志とは仲が悪かった。
まぁ合うわけがないのだろうけど、
そんな中、偶然にも新幹線でバッタリ出くわした。
こりゃ気まずい時間になると思った永さんだが、
前の席に座った談志が、
座ったままで顔は合わさなかったらしいが
志の輔が、ありがとう」とひとこと言ったそうだ。
永さんの番組で世話になっている弟子に代わり礼を述べた。
そうしたエピソードを紹介し、「いい師匠を持ったね」と
志の輔に話していたことを思い出す。
人格は最低ながら弟子に対する思いは大したもんだ。
けんか相手の永さんも敬服していた。

自分もいつかは死ぬわけだが、一つだけ楽しみがある。
見て帰ってきた人はいないが、
向こうには「極楽亭」なる寄席があるらしい。
私が見られなかった志ん生文楽、金馬、
三木助、可楽といった昭和黄金期の
落語家たちが出演しているに違いない。
もちろん円生、志ん朝、円楽も。そこへ談志もやって来る。
これくらい楽しいところは無い。
早く見に行きたい。‥‥わけはない。
まだまだ自分の“業”を肯定させていただきます。

間違いなく私のあこがれの人物だった。
しばらくは引きずってしまうだろう。