志ん朝が死んだときほどの衝撃はなかった。
なぜなら、もう声があまり出なくなって
以前のようなキレが無くなっていたこともあり
あんな落語はもう聞けないことはわかっていたせい。
存命ではあるが、
失礼ながらもう期待できない米朝さんも同様だ。
そうは言っても談志が居なくなってしまった事は、
志ん朝の時のような「もう終わった感」が再び襲ってくる。
丁度落語を聞き始めた頃は絶頂期では無かろうか。
そんな談志を聞いているせいか晩年は目を、
いや耳を避けたくなってしまいたくなるほどだが、
落語をやってくれるだけありがたいとも感じていた。
『落語は人間の業の肯定』という名言は、
口座で「そう言わないと自分の存在意義が無くなってしまう」
と笑わせていたが、それは談志自身のみならず
落語界全体、ひいては全落語ファンの存在意義をも
認める形となっていた。
その言葉に救われた。感謝する。
談志の口座を初めて見たのは30年ほど前
国立劇場の落語研究会。確か「風呂敷」だったかと思う。
あとは日比谷にあった東宝名人会の初席でのトリ
「人情八百屋」。
正月初席の大入り満員で立ち見で見たそれは、
足の疲れを忘れさせてくれるには充分だったかと思う。
また、協会脱退後だったと思うが
国立演芸場での「ぞろぞろ」。
その時はあんまり落語をやりたがらず
漫談でお茶を濁そうとしたけどトリということもあって
「仕方ねえからやるか」なんて言いながら演じていた。
確かに芸は最高。(でも人格は最低←弟子が言っている)
無理だとは思うが、もう少しまじめにやっていれば
もっともっと大名人になったに違いない。
そうなったら談志ではなくなってしまうのだろうけど。
昔、永六輔さんのラジオで
志の輔がレギュラーで出ていたとき、
永さん自身も言っていたが談志とは仲が悪かった。
まぁ合うわけがないのだろうけど、
そんな中、偶然にも新幹線でバッタリ出くわした。
こりゃ気まずい時間になると思った永さんだが、
前の席に座った談志が、
座ったままで顔は合わさなかったらしいが
「志の輔が、ありがとう」とひとこと言ったそうだ。
永さんの番組で世話になっている弟子に代わり礼を述べた。
そうしたエピソードを紹介し、「いい師匠を持ったね」と
志の輔に話していたことを思い出す。
人格は最低ながら弟子に対する思いは大したもんだ。
けんか相手の永さんも敬服していた。
自分もいつかは死ぬわけだが、一つだけ楽しみがある。
見て帰ってきた人はいないが、
向こうには「極楽亭」なる寄席があるらしい。
私が見られなかった志ん生、文楽、金馬、
三木助、可楽といった昭和黄金期の
落語家たちが出演しているに違いない。
もちろん円生、志ん朝、円楽も。そこへ談志もやって来る。
これくらい楽しいところは無い。
早く見に行きたい。‥‥わけはない。
まだまだ自分の“業”を肯定させていただきます。
間違いなく私のあこがれの人物だった。
しばらくは引きずってしまうだろう。