帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

古~墳 4

将軍山古墳は登れない。
前二つに比べると少し小さめの古墳。
日陰のない中、
ものすごい日差しに突き刺されながら
展示館へ到着。
入り口には¥200の表示が。
まぁ安いなと思い中に入る。
受付には暇そうなおじさんが待ち受ける。
¥200を払うと、駐車場の先にある
鉄剣が展示されている本館の共通券で、
券を見せれば入館できるとのこと。
中に入りさて見ようかと最初の展示物を
見ていると、
いきなり受付のおじさんが部屋から出てきて
「では解説しましょうか」と来たモンだ。
正直びっくりして、その瞬間
じ、時間が・・・
でもせっかくの機会なので話を伺う。
まずは、航空写真でさきたま古墳群の解説。
いろいろと解説してくれるも、
行く前にちょっと調べた程度のことだったが、
写真を見て今と違うのに気づいた。
さっき登った稲荷山古墳の周りに堀がある。
「堀があったんですね」と聞くと、「あぁ」とそれだけ。
いつ、なぜ埋めたとか、答えてはくれず。
石田三成忍城を水攻めにしたことを思い出し、
「堀ってやっぱり川から引っ張ったんでしょうかね」
「いやいや、古墳の山は周り(堀の部分)の土を掘って
盛り上げるので、自然と堀ができるんですよ」
なるほど、土をどっかから運んで山を作るより
周りを掘ってその土で盛り上げる方が合理的だ。
そうなるとピラミッドは
遠くから石を運んで大変だった事だろう。
続けておじさんが
「稲荷山は今は復元されましたが、
方墳部分がなくなっていました」というので、
「やっぱり風化ですかね」と返す。
すると、
「いや、明治の初期にまわりの住人が
田んぼや畑の土に使って削り取ったんです」
え~っ!何だって?周りの田んぼに使っただぁ?
これは、ものすごい事実だ。
まだあるこの公園の周りにある田んぼは
古墳の土からできているのか!?
一体どういう事かと思ったが、
時間がないのであまり突っ込まなかった。
さっきの案内板には昭和初期の土工事とあったが、
それも同じ事なのかも知れない。
と言うことは、周りのお百姓さんの先祖は
土泥棒なのか?
正直、まだ続くのかなぁと思っていたら、
5分くらいでおじさんの解説が終わった。
出土品をざっと見て、2階の展示を見る。
埋葬の様子が復元されている。
当時としては大変珍しく馬冑(ばちゅう/馬のかぶと)が
供えられていた。
後で解説書を見ると、
この時代ではまだ2つしか見つかっていなく
外国製(朝鮮半島?)ではないかとも言われているらしい。
涼しかった展示館を後して
いよいよ国宝の鉄剣を見るべく博物館へ向かう。

つづく