帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

「めだか」と「らくだ」 前編

談志の弟子に談春がいる。
調べるとあっしと同い歳。
談春が以前前座修業時代を書いたエッセイ
「赤めだか」がある。
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出た当初は結構評判で話題にもなっていたが、
立ち読みの拾い読みだけで
読んだ気になっていた。
2年前の討ち入りの日(12/14)、
新聞のコラムにこんなのがあった(全文引用)



 落語家の立川談春さんは中学生の頃、
 落語に親しむ学校の催しで
 東京・上野の寄席を訪れた。
 のちに師匠となる談志さんが高座に上がった。

 談春さんの『赤めだか』(扶桑社)によれば、
 談志さんは四十七士の討ち入りを引いて
 落語論を語ったという。
 「でもね赤穂藩には家来が300人近くいたんだ。
  総数の中から47人しか敵討ちに行かなかった。
  残りの253人は逃げちゃったんだ」

 理性ではどうすることもできない心の働きを
 「業(ごう)」という。
 「逃げた奴等(やつら)はどんなに
 悪く言われたか考えてごらん。
 落語はね、
 この逃げちゃった奴等が主人公なんだ」。

 駄目な奴を認め、業を肯定するのが落語だよ、と。

 「たまには落語を聴きに来いや。
 あんまり聴きすぎると
 無気力な大人になっちまうから、
 それも気をつけな」。
 最後は、得意の毒舌で締めくくったらしい。

 〈熱(あつ)燗(かん)や討入りおりた者同士〉
                   (川崎展宏)。
 
 被災者の身の上を思えば、
 どんな苦労にも耐えられると理性では分かりつつ、
 身勝手や怠け癖の“業”に
 震災後も負けつづけて迎えた
 「義士討ち入りの日」である。
 熱燗と、心優しい談志節が腹にしみ渡る。




ちなみに本文は以下の通り。
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談志が言っている通り、
あっしは落語を聴きすぎて
無気力な大人になってしまったが、
談春は見事に「落語は人間の業の肯定」に触れ、
落語家を志したらしい。
思い切ってこの「赤めだか」を読んでみた。
すると、どういう訳かNHK
最近談志の回顧ドラマをやったりして
丁度談志ブームなのだろうか。
前・後編のドラマで2週に分けてやっていたが、
前編の若い頃の談志は小出恵●が演じ、
さすが俳優だけあって顔は似て無くとも
なかなかの演技で見ていて引き込まれた。
しかし、後編の名前も出したくない
あのタレントはイカンだろう。
まぁ見るに堪えない演技ではあったし、
談志も向こうで烈火のごとく怒っている事だろう。

ちょっと失礼ながらこの本
談春の自伝というより、上記の一節も然り
談志語録とでも言おうか、
談志の言動が殊の外興味深い。
今となったら談志の遺言とも受け取れる。
以前より聞いていたエピソードも多々あったが、
この本で肝心なのは立川流家元を創設してから
最初の前座達の話であると言うこと。
寄席も出られず、
師匠の家に行くことが仕事?となり
他の落語家の交流もあまり無い。
そんな中、談志もどうやって一人前にするか
いろいろ考えていたんだと思う。
落語家の修業の中でも、前例の無い
かなり希有なシーンと言ってもいい。

協会を脱退してから談志は
さらに談志らしさを発揮したかに思える。
冒頭でもご紹介した通り、
あっしからしても後世に伝えたい
名言の一つとして上記の「業の肯定」がある。
てっきり初著である「現代落語論」(昭和40年)に
書かれているモンだと思っていたが、
どうも脱退して立川流を創設してから書いた
「あなたも落語家になれる」で記したようだ。
でも、脱退する前から彼はその名言を
二言目にはクチにしていたから
脱退して初めて著したことでは無いと思う。
まぁ初著はまだ読んでないのでわからない。
ぜひ読んでみることにする。

しかし、この「赤めだか」。
読んでみていや読んでる途中で
予想はしていたが、
談志がホントにとんでもない人ということが
よくわかる。
それは両方の意味で。
常人には理解できない破天荒な面と、
落語、芸に対する並はずれた知識と技術。
これは端から見ている分には興味深い人なのだ。
しかし、弟子になって懐に飛び込んだら最後、
廃人になるしかないだろう。
ただ、落語に魅せられ、
彼以上に落語を愛した人は居ないことも事実で
落語の神様か悪魔か知らんが
常識と引き替えにそれを
手に入れたのかも知れない。

つづく