帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

「めだか」と「らくだ」 後編

落語を知らない人には
面白くない話で恐縮します。

本当はこのシリーズ、
二人の本を前編・後編と紹介して
終わるつもりだった。
だが、この本を読み終えて
何だろうあっしの落語感が
正直分からなくなってきた。

伝統を現代へと談志は言った。
古典落語をそのままやっては落語はなくなると。
確かに若い人(昔のあっしも含む)に
長屋だ郭だ幇間だ、
ッて言ってもわかりゃしない。
分からないもんにいくら面白い話をしたって・・・
と言う理屈だと思うが、
あっしとしては、
逆に現代から伝統の方に行ってしまった
ちょっと変わった人種のため、
どうも、分からろうとしないほうが理解できない。
落語を知らない人より
あっしは人生を少しだけ、
いや、だいぶ得していると思っている。
まぁ談志からすりゃそんなことは分かった上で
現代へといっているとは思うが。
「赤めだか」の中で談春
弟弟子の志らくに嫉妬を感じている時
談志がこういった。
(↓クッリクすると大きくなる↓)
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伝統との話は違うかも知れないが
この中で談志は、
「現実は正解なんだ」「現実は事実だ」
という言葉は正直言って衝撃的だった。
郭を理解できない現実は
こちらに理があっても、正解であり事実なのだ。
分かる人だけの芸になると
そりゃ能のようになってしまう。
一部の人だけに受け入れられる
文化になっていいのか?
間違いなく落語は大衆演芸で、
格式や権威などへったくれだ。
人間の業を肯定するという
常識外の文化で、小さんや米朝のように
人間国宝になってはダメなのだ。

何年か前、平日の昼席の寄席に行った。
平日の昼間というに、
若い女の子1人で聴きに来てたり
池袋演芸場というシチュエーションの割には
結構な入りだった。
昔は客席が畳敷きで
ビルの上にあった頃とは大違い。
落研の後輩達と行った時には、
客があっしら(3人)とおじさん2,3人だった。

地下になった池袋演芸場では、
期待はしていなかったが
勿論あっしより若い落語家達が
一所懸命落語をやってる。
世辞にもうまくはないが
こんな志ん生もろくに知らないような若手が
頑張っているんだから
もっと落語を応援しなきゃと思いはじめた。
しかし、その後新宿末広亭
土曜深夜寄席を見に行く機会があった。
深夜寄席は若手二つ目の勉強会だ。
それはそれは超満員で、脇の桟敷席まで目一杯。
昔、深夜寄席に行った時は当然ガラガラ。
桟敷なんて使わなくてよかったのだが・・・
行く前はどんな若手がいるか楽しみで、
少しうまけりゃ贔屓にしよう
なんて考えていたら、すっとこどっこい。
ホントお粗末なくらいに出るヤツ、出るヤツ
ウチ(高校)の文化祭以下。
それはそれはひどいモン。
なんでこんな落語で満員になるのか
不思議でしょうがなかった。
それがトラウマとなって
いまだに寄席の敷居を跨いでない。
あの日深夜寄席はあっしの
落語ライフにとって大きな出来事となった。

それからというモノの
落語は距離を置いていたのが事実だったが
今回二つの本を読んで
無性に二人の噺を聴きたくなった。
談志、志ん朝の世代を聴きまくったあっしは、
その弟子達がどんな落語界を切り拓いていけるか。
きっとあっしの思い描く
古典落語原理主義世界は期待してないが、
それを見届ける覚悟は
この2つ本を読んでできあがっているつもりだ。

じっくりと聴かせてもらいます。

(この項終わり)