エキュート in 広瀬 (中)
デッキに上がるとカフェと
展望デッキがある。
カフェには用はないが、
旧ホームから電車を眺めながら
飲食できるのはそそられる。
電車を待っていたわけではないが
デッキから眺めていると
幸いなことに
上りと下りがこのホームで交差した。
なんて運がいいンだろう。
こんなことでプチ感動を覚える。
帰りはというと、
丁度上の写真の所にある
1935階段という別の階段で下りる。
この1935は1935年だから
昭和10年に作られた階段で、
帰ってからいろいろ調べると、
どうも、7年前に交通博物館閉館イベントで
ちょこっとだけ登らせてもらった階段は
こちらのようだ。
外へ出るとちょっと周りを確認。
狭い広場に何かある。
この地(須田町)の変遷が記してあった。
あっしもよくは知らなかったが
ここは江戸時代、筋違門があったそうで
結構なにぎわいを見せていたとある。
そして、須田町の代名詞。
この万世橋駅と広瀬中佐の像。
前回のブログから
このタイトル「・・・in 広瀬」とあるが、
前回の(上)では触れずじまい。
何のことか分からなかったと思うが
ようやくここで出てきました。
日露戦争の英雄。軍神広瀬中佐の像が
昔ここ万世橋駅の広場にあった。
以前のブログでも紹介したけど
今でいえば、そう75歳以上の人に
須田町と言えば、万世橋駅~広瀬中佐の像。
と必ず口にする。
それこそ言い忘れてたが、
このエキュート、名称を
「mAAch(マーチ)エキュート 神田万世橋」
と言うそうだ。
mAは万世橋の「ま」Achはアーチ状の
レンガ造りから来ているのだろうか?
あくまでも推測ですが・・・。
そんなわかりにくい名称よりは、
昔の万世橋のシンボルである広瀬の名前を
いただいた方が・・・の気持ちから
このタイトルを付けた。
3つ目にあったのは
我々の時代、交通博物館の紹介。
自分の分かっている
体験してきた内容が、
このように写真に収まってしまう現実は
なにか歴史の教科書か何かに
載ってしまったようで、
自分がものすごく年寄りになった気がする。
今の75歳過ぎの年寄りが広瀬中佐なら。
あっしは「昔、交通博物館がねぇ」と
須田町を懐かしむんだろう。
(つづく)