帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

エキュート in 広瀬 (中)

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デッキに上がるとカフェと
展望デッキがある。
カフェには用はないが、
旧ホームから電車を眺めながら
飲食できるのはそそられる。
電車を待っていたわけではないが
デッキから眺めていると
幸いなことに
上りと下りがこのホームで交差した。
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なんて運がいいンだろう。
こんなことでプチ感動を覚える。
帰りはというと、
丁度上の写真の所にある
1935階段という別の階段で下りる。
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この1935は1935年だから
昭和10年に作られた階段で、
帰ってからいろいろ調べると、
どうも、7年前に交通博物館閉館イベントで
ちょこっとだけ登らせてもらった階段は
こちらのようだ。

外へ出るとちょっと周りを確認。
狭い広場に何かある。
この地(須田町)の変遷が記してあった。
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あっしもよくは知らなかったが
ここは江戸時代、筋違門があったそうで
結構なにぎわいを見せていたとある。
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そして、須田町の代名詞。
この万世橋駅と広瀬中佐の像。
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前回のブログから
このタイトル「・・・in 広瀬」とあるが、
前回の(上)では触れずじまい。
何のことか分からなかったと思うが
ようやくここで出てきました。
日露戦争の英雄。軍神広瀬中佐の像が
昔ここ万世橋駅の広場にあった。
以前のブログでも紹介したけど
今でいえば、そう75歳以上の人に
須田町と言えば、万世橋駅~広瀬中佐の像。
と必ず口にする。
それこそ言い忘れてたが、
このエキュート、名称を
「mAAch(マーチ)エキュート 神田万世橋
と言うそうだ。
mAは万世橋の「ま」Achはアーチ状の
レンガ造りから来ているのだろうか?
あくまでも推測ですが・・・。
そんなわかりにくい名称よりは、
昔の万世橋のシンボルである広瀬の名前を
いただいた方が・・・の気持ちから
このタイトルを付けた。
3つ目にあったのは
我々の時代、交通博物館の紹介。
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自分の分かっている
体験してきた内容が、
このように写真に収まってしまう現実は
なにか歴史の教科書か何かに
載ってしまったようで、
自分がものすごく年寄りになった気がする。
今の75歳過ぎの年寄りが広瀬中佐なら。
あっしは「昔、交通博物館がねぇ」と
須田町を懐かしむんだろう。

(つづく)