レンガを見ると結構な傷が目立つ。
東京駅のように修復しなかったようで、
これも推測だが万世橋駅から
昔の鉄道博物館を作った時に
線路沿い、レンガ塀にそって
博物館の建物を建設した際に
館とレンガ塀をくっつけるため、
いろいろと施したあとではないかと思った。
もし推測通りであれば、
そのまま修復せずに残したことは
博物館がこの場所にあった証でもある。
good job ! JR-EAST!
はずれにはちょっとしたスペースがあり、
何か棒のようなモノが立っている。
国立競技場のような織田ポールか?
そう言えば、新国立競技場では
織田ポールはどうなってしまうのか?
良く見りゃレールだった。
見る人が見ると
これはドイツで作った昔のレールだとか
分かると思うが、
あっしが見ても2012.5の刻印は
昨年製作された
それほど希少価値がないモノと見受けられる。
万世橋駅当時のレールはなかったか?
too bad! JR-EAST!
周りには、鉄道の歴史が
このレールを囲むようにして
表示されている。
そうした鉄道のオブジェを作るのはイイが
このレールの位置は
昔の須田町の人間なら知る人ぞ知る
紛うことなき、広瀬中佐の銅像があった場所だ。
(もちろんあっしは見たことはないが)
交通博物館を知っている人がいるならば、
外展示の端っこにあった弁慶号のあたりだ。
いろいろ見回しても銅像の位置に
これを置くなどの解説は一切触れてない。
このオブジェの企画者は
きっとその意図があったはずなのだけど・・・
いっそのことレールではなく
銅像をこさえて欲しかった。
あっしは、ここを広瀬広場と勝手に命名する。
軍神広瀬とその名残れど、
像は残らじ・・・か。
(この項終わり)