帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

さよならテレビファソラシド、土曜ワイド

永さんが亡くなった。
ずっと続いていたラジオ番組
土曜ワイドラジオ東京が終了し、
それでも月曜夜に短い時間で続けていた。
あんまり聴いていなかったけど、
先々週だったか、たまたま配偶者さんがラスト少し聴いていて。
「なんか、最終回っぽかった」と言っていた。
永さんが入院し、しばらく出れなそうなのか
ラストに「永さん頑張ってね」とか「大丈夫だよ」とか
言ってたそうだ。
パーキンソンが進んでいる事は知ってたし、
土曜ワイドを聴いていて
あれだけ早口で喋っていたけど、
晩年は歯も悪かったせいか聞き取りにくかった。
もう長くはないだろうとは思っていたけど
こんなに早く逝くとは思わなかった。
あっしのこのブログもどーゆーわけか
永さんと談志のことを書いた回が検索されて
ここ数日けっこー読まれている。

あっしにとって永さんの影響力を受けたのは
タイトルにある「テレビファソラシド」。
中学くらいの頃だったか、
NHKの土曜夜にやっていた。
永さんにNHKの理事にまでなった加賀美アナ。
まだ「いいとも」やってないタモリ
トップアイドルだったマッチ、
産経グループに玉の輿した頼近美津子アナ。
小堺一機内海好江・桂子師匠もいた。
今考えればそうそうたる顔ぶれ。
マッチがゲストで来ていたあの美空ひばり
有名な「おばさん、歌上手いね」発言はこの番組で起こった。
考えてみたら、当時NHKとひばりさんは絶縁状態。
そんな中、出演した事自体大変なのに加えてこの事件は
周りにいた人たちはさぞ驚いた事だろう。
もっとも、タモリがNHKに出たのがこれが初めて。
当時、サングラスをしてテレビに出るのは
批判的だった時代。
「なんだあれは!」とかなりの批判があったそうだが、
永さんはタモリの薀蓄能力の高さを評価して
そのまま出し続けた。
ある回で、インドの人がおでこに
ルビーのような宝石のようなものを付けているが、
それは「三つ目の目を表しています」とだれかが説明すると
「羨ましいですね」とタモリが答え、
それ以来批判は来なくなったと永さんは言っていた。
その意味は、説明しなくとも・・・
当時は漫才ブームの真っ只中、
ある回では、引退しきった漫才師を何組か呼んで
オールド漫才を披露。
それが当時でも結構面白かった。
往時、漫才は音曲入りが主流というのをこれで知った。
一人が喋り一人が三味線をもって
やっているのに気づかされた。
いつの間にしゃべりだけになってしまったのか
考えさせられた回であった。
世間、巷を斜に構えて見るということを
教わった気がする。

こっから先は土曜ワイドラジオ東京の話。
実家は浅草のお寺の出。
下町の人らしい義理堅いエピソードもいくつかある。
酒は飲まない人だったが、
とある地方で地元の老人に酒を勧められ断ると、
「この地の土、水、風が育てた物を少しでいいから口にしなさい。
それが出来ないのなら、ここへ来た意味がない」
と言われ、旅好きな永さんとしては恥ずかしくそれ以来
飲めないながらも唇を湿らす程度にお酒をいただくらしい。
また、若い頃仕事で飛び回って父親から手紙が来ても
返事を出さなかったら、
「手紙の返事を書けない忙しさは人として恥ずかしい」
と言われ、それ以来どんな手紙にも返事を書いていたらしい。
ある年の正月に出演者に年賀状が来たら必ず返事を書きます。
とラジオでやっていたことを思い出した。
土曜ワイドで思い出したが、アメリカの同時多発テロの時、
必然的にイスラム教=悪のようなイメージがあったが、
ひたすらラジオでコーランを読んでいたらしいことを後から聞いた。
なんかすごいことをやってたなぁと感心した。
コーランは怖い教えなどないそうだ。
斜に構えることでいっぱい見えることがある。

まだ早いとは言えない歳なれど
小沢昭一さんしかり、
もう少し話を聞かせて欲しかったなぁ。