帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

いじめられている君へ ずれずれ草編

つい最近、福島から原発事故のおかげで
横浜に自主避難した少年の手記が公開された。
とんでもないいじめだ。
補償金もらったんだから金持って来いとは何事か?
補償金もらったらお前のゲーセン代に使ってイイという
ロジック、整合性をどうすれば証明できるのか?
ぜひ、そー言った馬鹿とその馬鹿の親に聞きたい。
きっと、あっしには理解不能な難しいロジックをお持ちなのだろう。
150万超の銭が渡ってるらしいが、
補償金は数十万らしい。
ロジックが展開できないのであれば、
返すんだろうな!
ってゆーか、恐喝だろ?
いじめってゆーからダメなんだ
犯罪だ。いじめは犯罪である。
刑事告発だ!
それでも、その少年は
「しんさいでいっぱい死んだから
つらいけどぼくはいきるときめた」という手紙には
いじめをしてきた連中への憤りと
ものすごい悲しみが込み上げる。
しかし、よく死ななかった。

いじめの事件が起きるたびに
憤りと悲しみが渦巻き、
その度に、いじめが社会問題化した昭和61年2月に
盛岡の駅ビルのトイレで自殺した
鹿川裕史くんを思い出す。
まだ中学2年生、13才だった。
クラス全員と先生までお悔やみの言葉を綴った
葬式ごっこ
遺書にあった、
「このままじゃ生き地獄になっちゃうよ」は
衝撃的だった。
もう30年も経ったというのに、
なんで未だにこんなんだ。
やっぱり無くならないんだろうか。

ただ、わずかながら抵抗はできるのか、、、
当時の朝日新聞で、
「いじめられている君」へというタイトルの社説があった。
あっしも読んだ記憶があり、泣いた。
社説といえば、コラムと違い難しい言葉が並ぶ欄だ。
それが、小学生でも読めるように
かな文字がほとんどで構成されていた。
それがこれ。
IMG_0584
社説では異例中の異例で
確か国会でも話題なったと記憶している。
ネットでどっかにないかなと探したけど
30年もの歳月のせいかどこにも見当たらなかった。
仕方がないから、図書館に行って
縮刷版をさがしてコピーしてきた。
そして、ネット上でなかったんだったら
このブログで原文をそのまま転載する。




いじめられている君へ

 東京の鹿川裕史(ひろふみ)君が1日、
おばあちゃんの住んでいる盛岡市まで行って死んだ。
3日には、香川県の木内史(つかさ)君が、
じぶんの家の物おきで、おなじように首をつって死んでいた。
ふたりとも中学校の二年生だった。
 裕史君は、グループのなかまからいじめられて、
もう、たえられないと書いた紙をのこしていた。
史君も、クラブの先ぱいからいじめられていたことが、
わかった。
それがつらくて、死んだのだろうと、けいさつが調べている。
子どものあいだに、いじめがふえていることは、
おとなたちもだいぶ前から気がついている。
やめさせようと、どりょくをはじめているひとたちもいる。
 でも、裕史君と史君のばあいは、まにあわなくて、
ふたりとも死んでしまった。
おじさんたちは、どうしようもなく、かなしい。
そして、なにかしなくてはいられない気もちになっている。
死にはしないが、やはりいじめられて、
ふたりとおなじようにくるしんでいる子が、
ほかにもたくさんいる。それが、わかっているからだ。
 おじさんたちは、なにがしてあげられるかを、話しあった。
おばさんも、ひとりいる。
いっしょうけんめい話しあったけっか、
いま、いじめにあっている君に、
このてがみを書くことにきめた。
君が、日本のどこの、どんな家の子かはわからない。
けれでも、じじょうはひとりひとりちがっていても、
つらい気もちはいっしょのはずだ。
ふだん、君はあまり読まない欄(らん)だろうけど、
目にとまったら、ぜひさいごまで読んでほしい。
 おじさん、おばさんたちが、いちばんいいたいのは、
君の一生は、まだはじまったばかりだ、ということだ。
いま君におきていることは、ずーっとつづくわけではない。
つらいだろう。もう一日もがまんできないとかんじるくらい、
くるしいときもあるだろう。
 でも君は、まいにちまいにち大きくなっている。
じぶんでは気がつかなくても、そうなのだ。
きょうとあすとは、かくじつにちがう。
君じしんがおもっているよりも、
ずっと早くおとなになる日がちかづいている。
 「朝のこない夜はない」ということばがある。
どんなにわるい夢ばかり見る、くるしい夜でも、
えいきゅうにはつづかない。かならず朝はやってくる。
朝になってみれば、そんなことは、ばかみたいなものだ。
おじさん、おばさんたちも、いろんなつらいめや、
くるしいめにあってきている。
死んでしまいたい、とおもうようなこともあった。
うそではない。
けれど、あとになってみると、
それはゆうべのわるい夢なのだ。
 君は、お父さん、お母さん、
先生たちにもいうにいえないくるしさに、
ぶつかっているとおもう。
おとななんか、なにもわからないで、
かってなことや、むりなことばかりいうと、
うらんでいるだろう。
たしかに、おとながそだったころといまでは、
世の中がめちゃめちゃに変わってしまった。
だから、しょうじきいって、
まるで別のそだち方をしている君たちのことが、
まだよくわかっていない。
そのために、子どもの気もちにどんかんすぎたのは、
たしかだとおもう。
 だが、すこしずつ、おとなもしんけんになっている。
ぜんぶのおとながだめだと、あきらめてはいけない。
子どものとき、いじめられてもがんばった子が、
おとなになったときには、いじめた子よりも、
りっぱな人間になることを、おじさんたちは知っている。
 君がしょうらい、よわいひとのみかたをする、
心のやさしいおとなになってくれることを、
しんじて待っている。

    《1986年(昭和61年)2月6日/朝日新聞社説》



朝日新聞は10年ほど前にも
同じタイトルの「いじめられている君へ」と
「いじめている君へ」という
著名人のメッセージを送っていた。
その原点は紛れもなくこの昭和61年の社説だ。
なかでも、演劇の鴻上尚史氏の
死なないで、逃げて逃げて」は秀逸だった。

あっしも人の子の親だが、
生まれてきた子の子育てには不安があった。
それは、やっぱり学校というか
友人関係への適合だ。
この時代、昭和の子と全くと言って違う
ファミコンがないと遊んでもらえないという
現象も昭和期の終わりにあったが、
2万もするおもちゃは我々の頃にはなかった。
そんな中、イイのか悪いのかわからないまま
携帯を使わせ、今やスマホがないと、、、
我が家じゃ2人の子はスマホで、
親がガラケーだ(笑)。
以前、子らに言ったことがある。
「学校が自分の預かり知らぬ理由で嫌だったら
行かなくていい。
そんな学校こっちから願い下げだ。
この世の中、捨てたもんじゃない、
いくらでも受け皿は用意されている。
絶対的にこっちに正義はある。
無理して行かなくて構わない。
行かないからといって恥ずかしいことは何一つない。
行くことによって、命を削るほうが
よっぽど恥ずかしい」と。

鹿川くんが生きていたら
社説にある通り、きっと弱い人の味方をする
優しい大人になっていたに違いない。



いじめダメ!