いよいよ中に入り、あさま山荘を目指す。
ここに来るのは3回目だろうか。
この別荘地調べてみると、もう50年以上の歴史がある。
そもそもあさま山荘事件が45年にもなるから
当然と言えば当然。
当時は別荘ブームにも乗って、
開発が進み5000戸を数えるらしいが
それも今では空き別荘も多そうだ。
最盛期には三越の商業施設もオープンしたほどで、
レイクタウンの名の通り、入るとレイク(湖)があり、
その畔にはショップが軒を連ねるもシャッター通り。
それでも一部は頑張ってオープンしている。
さあ、いよいよ別荘地へGO!
このトンガリ屋根の建物が目印。
ここから山を駆け上がる。
この建物調べると宿泊施設らしい。
鬱蒼とした急勾配の森の道をひたすら上る。
ナビの通りに行くも大体あっしが思い描いていた
方向の通りに車は進む。
しかし、仮にここの住人だったとして
それでもたどり着くのは至難の業に感じてきた。
まぁ、体のイイ樹海のようだ。
とあるカーブを曲がるとそこにはほこらのようなものを発見。
確か事件の時、殉職した警察官が2人いたが、民間人が1人犠牲になった。
その方達を慰霊する碑だったと思う。
するともう近くにある。
手を合わせ、そのまま坂を上がってくると、、、
「ここだぁ」とひとり車内で声を上げる。
屋根の色が赤く変わっているが
まさしくここがあの昭和47年2月19日から28日にかけ
日本中の目を釘付けにしたあさま山荘事件の現場だ。
機動隊と連合赤軍が対峙し、
銃撃戦をここで展開したのは本当に信じられない。
何せ、クルマ1台通るのがやっとの道だ。
こんな至近距離で撃ち合うなんて、、、
実際に立ってみるとその距離感が恐ろしい。
壁にある四角い換気口?の隣にあった
銃眼からこちらに向かって
バンバン撃ち込んでくるんだからたまったもんじゃない。
ちょっと見づらいが、脇から見た様子。
反対側から
こんな道です。
下の道から見上げたあさま山荘。
以前に比べて周りの木々が繁茂しすぎて
わかりにくいが、よく見る映像の通り。
まさしく天然の要害、難攻不落のあさま城と言ったところか。
ここが戦後安保運動の終焉の地である。
(つづく)