討ち入り凱旋RUNの2話目
細かい道を右往左往しながら南高橋を渡り鉄砲洲。
あっしも江戸っ子ではあるが、この鉄砲洲には聞いたことはあるも
初めて来た。確かに用はない。
しかし、鉄砲洲という地名に少なからず鯔背な感覚を覚える。
粋だねぇ。今は中央区湊という。野暮だねぇ(笑)。
調べると、鉄砲の形をした洲から由来するとのこと。
また、寛永時代に鉄砲の試し撃ちをしたとの由来もある。
とにもかくにも、粋な地名だ。
おそらくここを通ったであろう、鉄砲洲稲荷神社。
お参りしようとしたら、あっしと同じくツアーの方々が
いらっしゃいました。
先を急ぐので、お参りせずにRUNを続ける。
12月も半ばというに、近くの鉄砲洲公園の紅葉があざやか。
そのまま、南のほうへ下る。
この辺は、マンションはあるものの
神田で生まれ育ったあっしにとって、
人の生活臭がしない、無機質な街にしか感じない。
申し訳ないが八百屋や魚屋までは望まないが、
スーパーも選択できないような街ってどうなんだろう、、、
ちょっと走っていくとその先には、
見覚えのあるこだわりの地。
東京マラソン旧ルートの難関地、佃大橋。
縁あってここに出てきたか、、、
都合3回走ったが、35キロ地点ということもあって
満足な走りはできていなかった思い出がよみがえるも。
それもまた楽しい思い出。
ここを駆けがった。
決して急ではないが、以前のレポートにも書いた通り、
急にギャラリーがいなくなり、静寂に包まれる。
その何とも言えない孤独感、、、キツイ、、、
そのまま走るも、忠臣蔵ゆかりの地がすぐそばに出てくる。
そこは聖路加国際大学。
95、6歳の時、「5年日記」を買い周囲を驚かせた
あの日野原先生が105歳で亡くなったあの聖路加だ。
その敷地はなんと、
浅野内匠頭のお屋敷跡。
小さい藩ながらいいとこに住んでたね~(笑)。
この前を通ったってことは、もう他のお屋敷と思われるが、
ゆかりの地として義士たちは通ったに違いない。
ここから、新大橋通に出て左折、築地本願寺の前を通って
築地の交差点まで来ると右折。銀座方面へ向かう。
このまま、江戸城へ突っ込むかと思いきや途中左折して
新橋方面に向かう。正確な足取りとは違うと思いながら、
あっしは汐留の日テレ方面へ足を向ける。
本来はここまでくれば、銀座RUNといきたいが
そこそこ忠実に走りたいので、銀座RUNは次の機会に。
汐留の日テレまで無事たどり着いた。
義士たちは、主君に会いに新橋方面に向かう。
(つづく)