帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

7年ぶりのKARUIZAWA 後編・突入せよ!(LAST)

高原鉄道に思いを馳せ北軽井沢を後にする。
復路は浅間山を右に見て軽井沢を目指す。
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そのまま山を降りると中軽井沢駅
駅舎も近代的になり、昔の趣のある駅舎ではない。
ちょっとした寂しさを感じて軽井沢を目指すが、
時間的にアウトレットに行っても
遅くなってしまう。
復路の関越道は多分渋滞するはずだ。
しかも、軽井沢駅から碓氷軽井沢ICの間はエライ渋滞スポット。
特に欲しいものが無いわけではないが
アウトレットはあきらめて
駅周辺を避け、塩沢方面へ迂回。
そこでピンときた。塩沢方面と言えば・・・

「そうだ、あさま山荘へ行こう」

そう、あの昭和47年2月、日本中の目を
ここ軽井沢に釘付けにした、連合赤軍あさま山荘事件
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あっしは就学前の幼稚園生。
小さいながらにも、これは覚えている。
なんせテレビはこればっかり。
大人たちは仕事もせずにテレビの前に釘付け。
それにあの鉄球攻撃だ。
子供ごころにも、下手なドラマよりは衝撃的だったはず。
あの山荘の当時の所有者、河合楽器の人と
昨年、ちょっと話す機会があって
あさま山荘事件で、 何か当時のこと知ってます?」
と聞いたところ。
「あぁ、あれは私が入る一年前のことで
当時のことを知っているのも誰も居ないなぁ」と言っていた。
その人も今年60数歳でご勇退
当時の新卒が毎日が日曜日に・・・
無常迅速。

以前から山荘の大体の位置関係はつかめていた。
ただ、色んなサイトでは結構分かりづらいとのこと。
とりあえずあさま山荘へ「突入せよ!」
軽井沢より南側にある別荘地の中にある。
私有地のため本来は関係者以外立入禁止って書いてある。
そうは言っても久し振りにここまで来て手ぶらじゃ帰れない。
進入(侵入)しながら狭い山道を登る。
時折、山の斜面を見上げながらあの要塞のように見えた
山荘の姿が目に入らないか確認する。
しかし、事件当時と違って木々がうっそうとして分かりにくい。
山道に入ってからはほぼ日陰だ。
見当をつけて行くこと15分くらい。
残念ながら見つけられなかった。
(もしかしたら見逃したかも・・・)
住所はネットで真偽はともかく見つけられていたので、
ナビに入れればいいんだが、
そこは田舎だ、タブレットWi-Fiが圏外で検索出来ず・・・
まぁ43年前、世間を震撼した事件の舞台近くにいるだけでも興奮する。
帰りに治安の礎という顕彰碑が近くにあり、
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そこに立ち寄り犠牲者3人に敬意を表す。
恐らく、この真っ直ぐ先に山荘があるんだと思う。
碑の脇にはあの攻防戦を顕したレリーフが。
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ここにはだいぶ前だが来たことはある。
確かその時も山荘を探したけど
今ほど情報もなくて、山道すら入らなかった気がする。
今度来るときは、よくよく準備をしてこの目で見たい。

ちょっと名残惜しいが軽井沢を後にする。
碓氷軽井沢ICから上信越道へ入ると
すぐにあるのは横川SA。
いつもここであっしは、
おぎのやの峠の釜飯を買って食べる。
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最強の駅弁、あの釜飯。
買うと税込み丁度1,000円。高くなったなぁ。
本来ならばもちろん駅弁。
もう無くなってしまった信越線の横川駅で売っていた。
おぎのやも先見の明があるのか、
早くから横川駅近くにドライブインを設けていた。
よくスキーバスで立ち寄ったもんだ。
そして今や高速のSA。
駅弁ながらいち早くモータリゼーションの波を捉えている。
これを締めにして東京へ帰還。
結局渋滞に巻き込まれてしまった。
次回は早く行って早く見て回ろう。

(この項終わり)