帰ってきた!いけちんのずれずれ草

12年間続いた、ずれずれ草が帰ってきた!

さよなら金花堂

私は神田の生まれ。須田町で生まれ育った。
家は印刷印章業、金花堂。いわゆるハンコ屋さん。
小さい頃は家の前に都電の停留所(電停と言う)があり、
人の乗り降りを見ながら育った。
小学校2年か3年だったか今の荒川の方へ居宅を移し、
店だけがずっと残っていた。
昔はもちろん風呂無しで、近くの銭湯に通うのが億劫だった。

創業は昭和8年だから今年で72年。
私の祖父が四国高松から出てきて始めた。
私が数えて3代目ではあるが、店を継ぐことなく
オヤジの2代目で終焉を迎えた。
継ぐつもりではいたのだが、時代の趨勢や2代目の
ネガティブな考えも分からなくはなく、
こうして幕を閉じることになった。

店としての役割はともかく生家であるのだから、
そうした思い入れは少なからず残っている。
急な階段。ほとんどハシゴのような階段からよく落ちた。
幼稚園の頃姉に3階への階段から突き飛ばされ、
1階のあたりまで落ちた時、左手首を折ったのが
一番の思い出だ。
また、2階の窓から見る靖国通り
その交通量は昔から多く、いろんな車、トラック、
そして先ほどの都電などの光景は見ているだけで
子供を飽きさせることは無かった。

今更感慨深く思うつもりは無い。
私が継ぐことを諦めた時点でこの日が来るのは
分かっていた。
しかし、出身の小学校、中学校が無くなり。
高校までも全日制が無くなり。
近くで毎日のように通った交通博物館までもが
無くなる。
私の神田は本当に消えてしまった。

世の中改革、改革。新しいことは善で古いことは悪。
という風潮に感じるが果たしてそうだろうか?
学校を残したり、ウチの店が残ることを希望しているのではない。
残すべきものは残し、変えるものは変える。
何でも変えるのはいかがなものか?
またそのスピードの速いこと速いこと。
生家が無くなった事の感慨より、
あまりにも速い変化を見せる神田に感慨深くなる。

新生秋葉原駅で迷ってしまった…(涙)